2011年 12月 10日 ( 1 )

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昭和29年12月22日----。
プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、
当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。
試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、
木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。
まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。
まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。
75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。
柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、
試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。
負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。
約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、
かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。
しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は?
戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、
希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!【アマゾンの紹介文より】




木村は堂々たる試合態度だ。
背筋をスッと伸ばして自然体のまま前に出ていき、
組み手争いもせず、エリオに好きなところを持たせている。
そして、ついに「使わない」と公言していた伝家の宝刀、大外刈りで一気にけりをつけにいく。
三分で仕留めるはずが予想以上のエリオの頑張りで作戦を変えざるをえなかったのである。
凄まじい大外刈りだ。
木村は自伝で「脳震盪で失神を狙った」と書く。
だが、エリオは人形のように頭から叩き付けられても、
下が柔らかいマットだったため脳震盪を起こさなかった。

しかし、どうだ。
このスピード、この切れ味。
プロレス時代の動画は残っているが、
木村が柔道着を着て戦う動画は、実はこれ一本しかない。
【本文397ページ『キムラロックの誕生』より】


手元にあるだけでニンマリな厚さ、701ページ(!)大長編ノンフィクション。
こうして動画が簡単に見られるというのも幸せのひと言。
本(読書用)とせんべい(おやつ用)と布団(睡眠用)があれば他に何も要らないオレ・・・。(ホントか)
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by hitsujiya-azumino | 2011-12-10 12:25 | 本を読む | Comments(0)