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ニューデリーの古本屋

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インド・ニューデリーの安宿街パハル・ガンジに古本屋が1軒ある。
日本語の本も少し置いてあって、読む本がなくなると見に行く。
ここに読み終わった文庫本を3冊持っていって、
店の親父さんに買い取ってくれないかともちかけたら、
「うーん、日本語の本たくさんあるからさー、交換てことでどう?」
と言われる。
やむを得ず日本語コーナーを眺めていたのだけど、めぼしいもの見つからず。
「いいのなかったよー」と言うと、
仕方なさそうに「じゃあ50ルピー(≒100円)でどうだ?」との返事。
文庫本3冊で100円とはいかにも安そうですが、そんなことはありませんね。
ブックオフに持っていっても、多分そんな値段では買い取ってくれない。ラッキー。
ありがとうJACKSONS BOOKS。





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旅行中読んでいた『吾輩は猫である』。
夏目漱石は、『こころ』とか『それから』とか学生時代に何冊か読んだことがあったけれど、
『猫』は初めて。こんなに面白いとは知りませんでした。
漱石当時37歳。若々しく瑞々しい文章でギャグ連発。大いに笑わせてくれます。
























ちょっと読者に断って置きたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調を以って吾輩を評価する癖があるは甚だよくない。人間の糟(かす)から牛と馬が出来て、牛と馬の糞(くそ)から猫が製造された如く考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見ても余り見(みつ)ともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入って見るとなかなか複雑なもので十人十色という人間界の語(ことば)はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯(ひげ)の張り具合から耳の立ち按排(あんばい)、尻尾の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋(すいぶすい)の数を悉(つ)くして千差万別といっても差支えない位である。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、われらの性質は無論相貌(そうぼう)の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。(夏目漱石『吾輩は猫である』より)

by hitsujiya-azumino | 2015-02-03 15:39 | 旅の写真