今年最後の水汲み

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朝、満願寺へ水汲みに行きました。
写真は、満願寺の観音様です。

ひつじ屋カフェのメニューは、すべて満願寺の湧き水をいただいて作っています。
「いらっしゃいませ」と言って出す「水」も、そうです。
コーヒーを淹れると、なんともいえない丸みのある味わいになるんですよ。
「満願寺へ水を汲みに行きなさい」とアドバイスしてくださったのは、
ひつじ屋“会長”、クレオパトラこと関和実さんです。
初めてコーヒーをいれて飲んだときにいっぺんで気に入って、
以来、軽トラにタンクを積み、山道を登るのが習慣になりました。

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この写真は、9月20日の朝、水を汲みに行く途中で撮ったもの。
今年いちばん気に入った写真です。

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ついでにもう1枚。
10月29日、友人と行った高ボッチ(たかぼっち)高原のてっぺんからの眺め。
諏訪湖の向こうに、富士山がうっすら見える。この写真も好き。


今年もありがとうございました。
おかげさまで、無事1年が過ぎようとしています。

きょうは、これからあづみ野コンサートホールさんの「カウントダウンライブ」に出かけます。
ふまちゃんやしんちゃんを見に行くのだー。
みなさま、よいお年を。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-31 20:43 | ひつじ屋日記 | Comments(0)

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写真家の長倉洋海(ながくらひろみ) さんが店に寄ってくれる。
前回お会いしたのは、たぶん3年くらい前。
そのときは、ひつじ屋のカフェオレを気に入ってくれて、
安曇野にいる間、何度も来て注文してくれた。

今回の「テーマ」は、カレーうどんです。
愛用のカメラ(キャノンの一眼レフ)で、撮ってくださいました。
その貴重な一枚を、ここに謹んで公開させていただきます。
いずれ写真集「安曇野(仮)」発刊の折には、
このカレーうどんが表紙になるのか、
と考えると、考えれば考えるほど、興奮してきます。
思えば、今年、ひつじ屋のカレーうどんは、ウドちゃん突然の来店で始まりました。

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そうして、月日は流れ、1年の最後を長倉洋海で締めくくることになろうとは・・・。
なんと幸せな、カレーうどんであることよ。

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長倉さんの最新作『人間交路』です。毎日新聞社刊。4620円。


インドに住む友人から、十色珈琲(といろこーひー) というコーヒー豆屋さんを薦められた。
場所は、インドケーララ州の・・・、ではなくて、
安曇野市のとなりのとなり、塩尻市の北の端。
ブログを見たら、29日で年内の営業終了とあったので、
それではお正月に使う豆を少しいただこうとお邪魔しました。
買ったのは、「シグリ」という豆です。
店の隅から隅まで、心の行き届いていることがわかる、美しい店でした。
経営者の吉江さんご夫婦も、ふんわりとした物腰の、とても感じの良いふたりでした。

世間話をしていたら、十色珈琲のおくさんとぼくの卒業した高校が、
すぐ近所であることがわかり、ビックリ。
懐かしい話に花が咲きました。
膝附(ひざつき)武男くん、元気ですか?きみの話が出たよ。なつかしかったよー。


●今年もありがとうございました。ひつじ屋は元旦より平常営業いたします。(大晦日は休みます)
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-30 17:54 | ひつじ屋カフェ | Comments(2)

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たくさんの仲間たちに支えられ、助けられながら、地道に育ててきました。
世界のイラストレーター内川絢子(うちかわじゅんこ)が描くチラシも毎回大好評!
『キャンドルヨーガ』来年もよろしくおねがいします。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-28 15:24 | ひつじ屋イベント | Comments(0)

Merry Christmas!

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クリスマスおめでとうございます。

塩尻アイオナ教会でおこなわれたキャンドル礼拝に参加しました。


待つ―沈黙の中に流れる賛美(マタイ1:18:24)      塩尻アイオナ教会 横田幸子

クリスマスおめでとうございます。
クリスマスには、きれいなさんびかをたくさん歌って、
神の子イエス誕生の喜びをわたしたちも表わすのが、教会の伝統になっております。
今日は、晴れ晴れしい賛歌とはちがって、沈黙の中に流れる賛美についてお話しいたします。
待つ生き方と言ったほうがいいかもしれません。
クリスマス物語の中のヨセフの章です。
 
ヨセフとマリアは婚約していました。
若者の婚約は親の取り決めによってなされるのが当時の習わしでありましたが、
当事者がそれを受け入れて、愛を育てていくのも、ごく自然なことでした。
その期間中に、自分の知らないところで婚約者のマリアが妊娠していたことを
聞いた時のヨセフの胸中はどんなであったでしょう。
驚きの気持ちがやがて悲しみに、
怒りにそして心配にといった様々な感情の波に押し寄せられて、
茫然自失の状態であったと想像します。

ヨセフは「正しい人」でした。
「正しい人」とは、人様から後ろ指をさされるようなことのない人、
というイメージが一般的ですが、聖書の場合は少しちがいます。
ノアの箱舟物語のノア、ヨブ記のヨブ、クリスマス物語の最初に登場する祭司ザカリア、
これらの人たちは、みな「正しい人」であったと記されているのですが、
文脈を読んでいくと、神との関係を大切にしていた人、ということのようです。
平たく言えば、神と対話していた人です。
祈りの人、祈りの中で、神の声を聴きとることのできていた人たちのことです。
 
ヨセフは、神と対話する前に先ず、考えに考えました。
真先に浮かび上った問題は、当時のユダヤ社会を律していた律法(法律)基準です。
それによれば、姦通罪は人々の前で石打ちの刑に処せられることになっています。
それを避けるには「ひそかに離縁」するよりほかありません。
でも、その先は?
離縁したマリアが胎内の子を抱え、やがて出産した生活がどうなるのか。
ヨセフは、悶々とする日々を過す中で神に向かいました。
神からの答えは夢の中に示されます。
天使が現われて「怖れることはない。
お腹の子を抱えたマリアと結婚しなさい」というものでした。
矛盾も困難も何もかも丸抱えで、己が身にとりこめということです。
それが神のみ心なのだろうか、神に赦されることなのだろうか、
思いめぐらしている彼に、神の息が吹きかけられます。命の息です。
ヨセフが思い及ぶことも考え及ぶこともなかった命の言葉が告げられたのです。

「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は、自分の民を罪から救うからである」

さらに言葉が続きます。
七〇〇年以前から預言者たちに待ち望まれて来たみどりごの誕生なのだ、と。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエル―(神は我々と共におられる)」。

ヨセフは、眠りから覚めました。
恐れも迷いも跡かたもなく去っていました。
夢の中での神との対話は、ありえないことではありません。
新約聖書には「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、
また多くのしかた(夢もそのうちの一つ)で先祖に語られたが、
この終わりの時代には、み子によって語られました」(ヘブル1:1)とありますが、
神信仰には古代から地続きの部分も残されています。
わたしも、度々経験していることです。

ヨセフは夢の中で、決断へと導かれました。
人間的なマリアへの愛エロス、ヨセフへのマリアの愛エロスが、
神の愛アガペーに支えられていることを実感したのです。
二人の愛を育むことが、神のみ心であることを知ったのです。
 
一方、マリアにも天使との出会いがあって、
婚外子を抱えることの大きな悩みから解放されます。
彼女は、喜びの叫びを発して歌います。

「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主である神を喜びたたえます。
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良いもので満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」

少女マリアが、こんなに立派な言葉、しいたげられた女性や、
社会から排除されていた者たちを代弁するかのような言葉をつむぐことが、
ほんとに出来たのでしょうか。
多分、マリアの思いを想像しての作者の創作によるものでしょう。
あるいは、身近かな女友達や、婚約者には思いの丈をぶつけていた
マリアの言葉を素材にしているのかも知れません。
 
ヨセフは、マリアの高揚した歌のような信仰の言葉に、
深い思いをもって耳を傾けたでしょう。
そして、現実のきびしさを思いやっていたのではないでしょうか。

マタイの誕生記事は、二章のところで権力者ヘロデのおぞましい行為を記しています。
ヨセフはおぼろ気に予知していたことかも知れません。
自分たち二人に示された神の驚くべき出来事=インマヌエル(神が我々と共にいる)のしるしとして
男の子を与えられたという告白が、
権力者をおびやかすものであることを予測できたからです。
社会を規定する律法という基準に従うことではなく、
宗教権力に従うことではなく、
神のみ心に従うことを選んだ者に向けられるこの世の刃を感じとらずにはおれませんでした。
 
ヨセフの予知は図星でした。
が、もはや、ヨセフはとまどい怖れることなく主なる神の導きを求めました。
権力者ヘロデ王が、その年に生まれた男の子を皆殺しにしようと企てた時、
その魔手から逃れる道を探しました。
またもや夢の中で、エジプトへの避難の道が示され、素早く実行に移しました。
そして権力者が代替わりになった時に
ふるさとナザレの村にマリアと子どもをつれて戻ったのです。
 
ヨセフは、神を仰ぐことの中で溢れ出たマリアの賛美が真実であることをきっちりと受けとめ、
生活の場としての現実において担ったのですね。
社会からの非難の目を受けとめる生活です。
それは、どれほど厳しいものであったでしょう。
国の王や社会からの攻撃に細心の注意を払いながら全力で対応したヨセフのたたずまい、
その彼の受けとめたすべてが、ヨセフの神への賛美ではなかったでしょうか。
ヨセフなしには、マリアの賛美も後々まで残るものとならなかったかも知れません。

ヨセフの名は、誕生物語に記されている以外には、聖書の中に登場しません。
ナザレに帰って育った子どもイエスは「マリアの子」と呼ばれて蔑視にさらされました。
ふつうは父親の名「ヨセフの子」と呼ばれるのが習わしです。
ナザレの人々は、イエスが婚外子であったことを周知していたのです。
だからと言って、ヨセフがイエスの育つ場にいなかったとは言えません。
後のイエスは、父ヨセフの家業―室内家具を作る家具大工職人を、
長男として受け継いでいるのです。弟妹も四人おります。
ヨセフは黙々と家業に励み、しっかりと家族の生活を支えました。

以上がヨセフ物語のストーリーですが、いかがですか。
それぞれの局面で自分の思いに引きつけてみることができたでしょうか。
 
わたしは、ヨセフの沈黙の人生を想像する時、
ヨセフの内面における激しいまでの期待を思わずにおれません。
みどり子誕生の時に夢の中で告げられた神の言葉への信頼が、
彼の苛酷な現実を支え切るエネルギーではなかったでしょうか。
それは「待つ」ことに集約された人生の姿勢です。待つという生き方です。
ヨセフは待つことを内に秘めて子どもらを育てたのです。
ヨセフの沈黙は、そのまま、神への賛歌です。
祈りにおきかえることもできます。
ヨセフの神への信頼は賛歌であり、祈りなのでした。

このヨセフの沈黙の賛歌・祈りは、
わたしたちの人生にも重なりあって来ませんか。
たとえば、犯罪事件を起こした少年の話です。
ちょっと特異な例でもあるのですけれど、聞いて下さい。
ある未成年者が、常識をはるかに越えた犯罪事件を起こしてしまって、
世間からはもとより、裁判官からさえも「産業廃棄物以下」という言葉で裁定される事件がありました。
そのような審判を下された少年や家族に受け入れられる言葉であったでしょうか。
だから新鮮な民間人による裁判員制度を導入すべきだ、と早とちりしないで下さい。
死刑制度をもっているこの国では、
素人の判断はそこに収斂されていく仕組みを知らなくてはならないでしょう。
この子どもの両親が、我が子を「物」それも「廃棄物」として判断するほどに、
ひどいことを仕出かしたのだと認めることが出来たとしても、
判決の言葉そのものをそのまま受け取ることはできない、と思います。
子どもへの非難や怒りに一片の抗議も差しはさむ余地がないとしてもです。
裁判官の言葉の行き過ぎを思ったとしても、
それを糾すことのできない状況に耐えるよりほかないところで、
家族とりわけ父や母にとっては、子どもの命への愛を捨てることはできないでしょう。

もし、捨てることが出来るとすれば、世間的な価値基準に愛を屈服させた時です。
愛とは、もともと矛盾に満ち満ちたもの、理屈ではなかなか説明できるものではありません。
丁度、イエスの十字架における神の愛のように、です。
もし、そのようなどう仕様もない子どもへの愛を捨てることが出来ないとすれば、
それは、神の憐みが父母の愛を起し続けているからだと、わたしは思います。
ひたすら、子どもの前に在り続ける力を与えられているからだ、と言わざるを得ないのです。
そして、思うのです。その愛は「待つ」という姿勢でしか現わしえないものではないか、と。
その場合、親の心の内を想像するなら、
恐らく七転八倒の思いが駆けめぐっているとおもいます。
その思いを手記にして発表したりすれば、
あるいは世間の評価が一挙に変わるということがあるかも知れません。
が、そのような変化が、少年の本当の立ち直りにつながるかは大きな疑問です。
少年の立ち直りを祈りながら信じて待つ、
裏切りがくり返されてもなお祈りながら待ち続ける人が何人かいるとき、
その人々のことを少年が知った時、
初めて少年に立ち直ろうとする心が生じる、ということが起こりうるのではないでしょうか。
地味な作業です。時間のかかることです。
両親の存命中には実現しないかも知れません。
死を越えて待つ。待つという行為には忍耐がつきものなのです。
子育ての基本路線です。

世界情勢をめぐる場合にも同じことが言えると思います。
戦争や飢えのなくなる社会を願って、人類はどれほどの年月を待ち続けているでしょう。
声を上げたり、カンパをしたりしながら、それを裏切る高官たちのいることも知るところです。
時には、怒りをこめて政治家の欺瞞を糾弾したりすれば、
逆にその行為を非国民呼ばわりされることさえもあります。
そのような動きがすでに始まっています。

そんな状況の中で、ひっそりと沈黙したまま、大地を耕し、
身近な者への配慮に心を砕いている人たちがおります。
その人たちの姿勢が、激しさを秘めて「待つ」姿勢であるのかどうかわかりませんが、
少くとも、根張り強く、平和共生への願いをもっておられる方々だと見なければならないでしょう。
当たり前に、あるがままに生きることを求めている人々は、
有史以来存在しているのです。
誰でも(と願います)そうであるなら、平和に共生できる。
「待つ」姿勢を秘めながら生きている心ある人々がいると信じましょう。
平凡に生きている人々の中に「待つ」姿勢を見出し、つながりを得ていくことが、
今の時代、もっとも大事なことではないかと考えさせられております。

イエスは、すでにそのような試みを実践し、
「とこしえに立つ神の言葉」を残して、今もなお語り続けていてくれるのです。
「インマヌエル、わたしは、いつもあなたと共にいる」。
家畜小屋にみ子を誕生させた神のみ心は、
人々の共存を求めて苦闘している人々と共にいることのしるしなのです。


★横田幸子牧師の了解を得て転載させていただきました。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-26 13:33 | ひつじ屋日記 | Comments(0)

クリスマスの音楽

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今年のクリスマスミュージックは、サラ・ブライトマンです。
写真は彼女のアルバム「Time to say goodbye」。

1曲目の「Time to say goodbye」から、すばらしい。
途中から追いかけてくる、アンドレア・ボチェッリの声が、またすばらしい。
このひとの、声の心地よさは、なんだろうか。

あと、9曲目の、歌劇「ワリー」第1幕~さようなら,ふるさとの家よ(カタラーニ) が好き。
’80年代に、いまは無き「松本中劇」で、映画「ディーバ」の上映会が開かれた。
その中で、この曲が印象的に使われていた。聴くたびに、なつかしい。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-21 16:53 | カフェの音楽 | Comments(2)

キャンドルヨーガ

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友人のアミちゃん(山本弥生さん)が主宰する「キャンドルヨーガ@ひつじ屋」。
きょうはその4回目です。

キャンドルアーチスト西牧隆行くんの協力のもと、
柔らかな炎の幻想的な雰囲気に包まれながら、
自分自身の心の深い部分まで見つめ、受け入れ、
ゆっくりとからだを動かしながら、疲れを癒していきます。
「先生」のアミちゃんが、その日の天候や集まったメンバーを見て、
毎回少しずつ内容を変えながら、
ふっくらと穏やかな、気持ちのよい時間を演出してくれています。

ヨーガの後は、ちいさなお茶会。
お互いを知ることのできる、この短い時間もとても貴重で、
豊かな空間が共有され、交流を深め、毎回あたらしい出会いが生まれます。

回を重ねるごとに、すこしずつメンバーが増え、
充実した集まりになってきた気がします。
来年も、仲良く、楽しく、気持ちよく、続けていくことができますように。
アミちゃん、よろしくねー。     ★次回は、1月23日(金)19:00~21:00。要予約。毎回10名限定です。

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木曜日に、松本中町通りの「陶片木(とうへんぼく)」さんで買った、レモン搾り器。
この店はすばらしいよ。猪口や、カップや、箸など、お金もないのに購買意欲をおもいっきり刺激されました。

友人のヤスエさんが経営するカフェ「パヤサ」(松本城の北・裁判所の東)に行くと、
陶片木さんで売っているカップでコーヒーを出してくれます。
それがまたステキなのです。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-20 16:27 | ひつじ屋イベント | Comments(0)

安曇野山カフェ第11座

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今年11回めの「安曇野山カフェ」。
きょうは一品持ち寄りのクリスマスパーティー。
ケーキをたくさんいただきました。

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水曜日、白馬の「倉下の湯」に行きました。

【泉質】 ナトリウムー塩化物・炭酸水素塩温泉
【効能】 神経痛、筋肉痛、五十肩、運動麻痺、間接のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復、疲労回復、健康増進、切り傷、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病
【営業案内】 営業日 通年  営業時間 午前10時~午後10時 
        入浴料 大人500円、小人300円(3才未満無料) 15枚綴り回数券6,000円
【連絡先】  長野県北安曇郡白馬村倉下 tel.0261-72-7989

なめるとしょっぱい褐色の湯。とても温まりました。
白馬連峰の眺めもすばらしい温泉。
一緒に行った温泉通のラマは、蹄(ひづめ)を鳴らして喜んでおりました。ワタクシもオススメします。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-19 20:13 | ひつじ屋イベント | Comments(0)

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風は、ギリシャ語で「プネウマ」。ヘブル語で「ルーアッハ」。
スペイン語で「アイレ」。サンスクリット語で「ヴァーユ」。

風は、目に見えないもの。息であり、空気であり、霊的なるもの。
私たち人間にとって、とりわけこの生きにくい世の中において、大事なものに思えてなりません。
そこで、「2008年のX'masに、風を感じにいらっしゃいませんか?」というお誘いです。

アイオナ教会は、スコットランドの南西に位置する、小さなアイオナ島で生まれた
「アイオナ共同体」の精神に由来する、プロテスタントの教会です。
「いろいろな人が共に在る」ことを願う、小さくて大きい(?)教会です。
大いなるものの息づかいを感じつつ・・・・・・。

アイレは、スペイン語の「風」。空気の波動によって生まれるのが音であるならば、
まさに、バンド「アイレ」は、魂に届く風を紡ぎだすアーティスト。
どんなジャンルもこなし、アイレにかかればボーダーレス!

どうぞ、風を感じにおいで下さい。
そして、みなさんによる2009年の新しい風が、
強くもたおやかに吹き抜けることを願いつつ!
Happy Christmas&A happy New Year!        横田ゆうわ(塩尻市在住・インド舞踊家)



友人のインド舞踊家、横田ゆうわさんは、塩尻アイオナ教会のお嬢さんです。
彼女から、クリスマス会の案内が届きました。

このすてきなチラシは、牧師であるお母さまの幸子さんが作られたそうです。
なんとも味わいのある優雅な字ですね。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-18 16:48 | ひつじ屋日記 | Comments(0)

冬の朝

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朝7時頃、安曇野市穂高有明、自宅近くの田んぼにて。
けさはかなり冷えました。
寒そうな感じが写真から伝わるでしょうか。

明日は休日なので、温泉に行ってこようと思います。
信州は温泉天国。
クルマでちょっと足を伸ばせば、
温泉三昧の一日を楽しめます。シアワセだのぉー。


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今年8回目の『資本論』読書会。
経済学部出身のワタクシも参加する予定だったのだけど、初回に挫折。
みんな偉いなー。
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by hitsujiya-azumino | 2008-12-16 20:12 | 安曇野の風景 | Comments(2)

クリスマスとハーモニカ

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ギャラリーシュタイネ さんのクリスマス企画展『ちいさなおうち展』に出かける。

“小さな家”をテーマに、多彩なジャンルの作家が、作品を展示しています。
オーナー山内有里子さんのセンス爆発、すばらしい展覧会ですよ。
安曇野に住む人は行ったほうがいいと思います。
最近、シュタイネさんに行くたびに、安曇野に住む幸せについて、考えます。
有明の森の中に、こんなにすばらしいギャラリーが静かに佇んでいる。
ちょっと足を伸ばせば、いつでも訪れることができる。そんな、幸せ。

【出品作家】
いとうよしこ    絵・カード
スミレ研究所 金井三和  陶
小久保隆司    陶
鈴木有紀子    キャンドル
ANEMONE 長南芳子  彫金
花塚光弘     木工
松原幸子     ガラス・木
三木美帆子   ガラス
山崎通子     陶

ガラス作家松原幸子さんの「グラス」が気に入り、
友人へのプレゼントにひとつ買いました。
安曇野穂高在住の松原幸子さんを、きょう初めて認識した。
彼女は、すばらしい。
いっぺんでファンになったことであるよ。

ギャラリーシュタイネ
〒399-8301安曇野市穂高有明7360-17
TEL&FAX 0263-83-5164
※『ちいさなおうち展』は12月23日まで。10:00~17:00 火曜・水曜定休(祝日は営業)


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午後、友人のカトウさんと、ハーモニカ奏者の池田圭一さん来店。
来年1月にライブを開いていただくことになり、その相談。
カトウさんが池田さんを紹介してくださいました。彼はすばらしいよ、と。

インターネット上で、彼の演奏を聴くことができます。
映像はないのだけど、これ、スゴイです。
聴けばかならず、来月のひつじ屋ライブに行きたくなるでしょうねー。うふふ。
ブルースハープコンテスト2005より

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by hitsujiya-azumino | 2008-12-15 20:18 | ひつじ屋日記 | Comments(4)