カテゴリ:旅の写真( 77 )

続・ガンジス川

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先日、諏訪湖に行った時の写真をガンジス川であるとウソの紹介をしましたが、
こちらはホンモノのガンジス川です。

偽ガンジス川はこちら→ http://hitsujiya.exblog.jp/23698899/

2008年1月、インドのバラナシにて。
だれも沐浴していませんが、まだ朝早いせいではないかと思われます。













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バラナシの駅で列車を待っていると、若者二人組が話しかけてきた。
どこから来たのかとか、インドはどうか、とか。
彼らのことをよく覚えているのは、ひとりが iphoneを持っていたから。
おそらく当時日本ではまだ発売されていなかったと思う。
それを持っているインドの青年が眩しく見えた。

当時の旅の様子 → http://hitsujiya.exblog.jp/6730658/



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by hitsujiya-azumino | 2017-03-07 13:49 | 旅の写真 | Comments(0)

ガンジス川

ガンジス川にて。

というのはウソで、諏訪湖です。
木曜日にちょっと用事があって、こちら方面にでかけておりました。
雨とあられの空模様、肌寒い1日。

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by hitsujiya-azumino | 2017-03-02 21:26 | 旅の写真 | Comments(0)

いつか行ってみたい場所

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映画ライフ・オブ・パイを観た。
主人公が、インド南部の町ムンナル(ムナール)を訪れるシーンがある。
一面に広がる茶畑。ぜひここに行って見てみたいと思った。

舞台はムンナル、ポンディシェリー(インド)、そして太平洋。
何しろ漂流するもので。

主役は、少年パイと虎のリチャード・パーカー。あと、動物いろいろ。
何しろ動物園なもので。

良い映画です。






















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by hitsujiya-azumino | 2017-01-29 10:41 | 旅の写真 | Comments(0)

ジャイプルの子どもたち

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オートリクシャーに乗って、子どもたちが通学している。
インドの首都デリーから特急電車に乗って西へ4時間ほど。
ラージャスターン州の州都ジャイプルにて。
























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ぼくには子どもが二人いますが、子育ての時に気をつけていたのは、ほどんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。くだらない用事や何かを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました。
勉強している間は邪魔してはいけない、というのではない。遊んでいても、ただボーッとしているのであっても、まとまった時間を子どもにもたせることは大事なのです。一人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生むからです。(吉本隆明『ひきこもれ』より)

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by hitsujiya-azumino | 2016-01-10 21:49 | 旅の写真 | Comments(0)

電車に乗って北陸へ

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しばらくお休みをいただきましてありがとうございました。
その間に、家人の実家へ新年の挨拶に行きました。
ところは富山県高岡市。
穂高から南小谷(みなみおたり)、糸魚川、泊(とまり)、富山、高岡と
普通電車を乗り継ぎ、氷見(ひみ)線の越中国分駅まで6時間ほど。

氷見線の始発駅である高岡は、
漫画家藤子不二雄の二人が同じ小学校に通った町。
そこで、氷見線の電車の車体には忍者ハットリ君が描かれています。
走行中には、「この先右に見える小学校で
藤子不二雄の二人が運命の出会いをしたのでござる」
などハットリ君によるアナウンスも入ります。

写真は、越中国分駅。
線路の先は海。
味わい深い北陸のローカル駅でござる。









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藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお、本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)
1933年12月1日 - 1996年9月23日、O型)。富山県高岡市出身。

藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー、本名は安孫子 素雄(あびこ もとお)、1934年3月10日- 、A型)。
富山県氷見市出身。

1944年(昭和19年)9月に、安孫子が、
藤本のいる高岡市立定塚国民学校(現・小学校)に転校してきて、
同じクラスになった。
安孫子が休み時間にノートに漫画を描いていたところ、
それを見た藤本が話し掛けたことで2人は仲良くなり、
いつも一緒に遊んでいたという。
ただし、漫画を書いているということは「恥ずかしい」ということで
他の同級生にはひた隠しにしていた。

中学2年の時に、手塚治虫の「新宝島」に衝撃と大きな影響を受け漫画家を志す。
この頃、手先の器用な藤本が反射幻燈器を制作。
それに使う漫画「天空魔」を共同で描いたのが初めての合作となる。
紙芝居屋的な感じで近所の子供たちに読み聞かせていたという。
また、同時期に漫画・小説をはじめ広告まで全て手書き
という雑誌のパロディ『少太陽』を制作。

中学から高校にかけて『漫画少年』をはじめとした雑誌投稿をはじめた。
当初はそれぞれが単独で投稿していたが、入選率は藤本の方が断然よく、
安孫子は屈辱感と嫉妬に悩まされたこともあった。
しかし合作をはじめるようになると、
藤本が才能を発揮してもそうした心理的屈折がなくなったという。

高校2年頃から完全に合作に切り替え、共通の郵便貯金口座を作り、
原稿料を管理するようになった。
金の管理は、藤本が行っていた。
そこから金を引き出し、一緒に映画を鑑賞するようになった。
これがきっかけで藤子不二雄名義で描いたもののギャラは
全て二分割というスタイルがコンビ解消時まで貫かれた。

彼らは手塚治虫のことを尊敬し手塚に手紙を書いたところ
「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」と
手塚から直筆のハガキを受け取った。
これはますます彼らを漫画家になることを決意させた。
この頃の二人は手塚治虫の模写ばかりしており、
漫画の内容も手塚タッチであった。

1951年(昭和26年)に『毎日小学生新聞』へ手紙と4コマ漫画を送る。
手紙の内容は「ぼくたちは富山の高校生です。
手塚治虫先生の大ファンで、マァチャンの日記帳からの愛読者です。
今、手塚先生の連載漫画がのっていないので、
かわりにぼくたちの漫画を連載して下さい」というものであった。

そしてひと月が経ち『天使の玉ちゃん』は掲載され、
事実上のデビュー作となる。
またこのことで、二人が漫画を描いていることが
先生や他の同級生にも一気に知れ渡った。

同年2人は高校卒業後は就職することにしたが、
漫画家への夢を諦めきれずに春休みを利用して宝塚の手塚治虫の自宅へ訪れた。
そこで2人が書いた漫画(『ベン・ハー』)を手塚に見せる。
手塚はその際「うん、上手だね」という言葉を掛けてその場を取り繕ったが、
内心はあまりの上手さに衝撃を覚え
「とんでもない子達が現れた……」と驚いたという。
この時2人が見せた漫画を手塚は終生大切に保管していた。
安孫子は手塚と初めて会った際のエピソードとして
「あまりにもオーラが凄過ぎて光り輝いて見えた」とラジオ番組で語っている。
(Wikipedia「藤子不二雄」の項より)


















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【きょうのブラックシル子さん】
「このあいだ平安堂(安曇野市内の本屋さん)の横を通ったら、
他の店に変わっていたよ」とシル子。

ところがきのう行ってみたら、いつもの平安堂が……。
平安堂さんすみません。




















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友人のめぐみちゃんにキャットシッターをお願いして、
娘のマトカと留守番してもらいました。
(左足のハートマークに注目)
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by hitsujiya-azumino | 2016-01-08 15:42 | 旅の写真 | Comments(0)

列車に乗って布を探しに

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朝早く、インドのニューデリー駅にて。
冬の北インドはかなり寒い。朝6時、5℃くらいだろうか。
インド国民は、毛布とか布とか、体に巻いて暖を取っている。

これから列車に乗って、ジャイプールに向かうところ。
木版更紗(もくはんさらさ=ブロックプリント)の布を探しに。



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人は欠点に気づいたならば、即座にそれを改めなくてはならない。
改める行為そのものが、人間にとって価値ある正しいことなのだ。
間違っても、欠点を見て見ぬふりして、
状況を悪化させてはならない。(マハトマ・ガンディー)

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by hitsujiya-azumino | 2015-06-04 14:28 | 旅の写真 | Comments(0)

インドの中国料理

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インドの首都デリー、パハルガンジと呼ばれる安宿街にて。

何を食べてもカレー味のインド料理に飽きると、中国料理を食べる。
レストランのメニューに「chinese」という項目のある店が結構あって、
写真は「vegetable chopsuey」(ベジタブル・チャプスィ)と呼ばれる、
「あんかけかたやきそば」のようなもの。なぜか必ずトマト(ケチャップ)味。
























わたしたちの体は、奉仕に捧げるためのものである。
決して自分だけのものではない。
だから、一人ひとりが自分の体を守るボディガードとなって、
体調を万全に整える術を身につけよう。
いざというときに、この体を差し出し、
役立てることができるように。(マハトマ・ガンディー)


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by hitsujiya-azumino | 2015-06-03 19:40 | 旅の写真 | Comments(0)

石垣島のネコ

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あっ、あそこにネコ!

沖縄石垣島にて。小さくてすみません。
























a0034487_1704064.jpg竹富島

ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー。
沖縄の人をないがしろにしてはいけません。(翁長雄志沖縄県知事)






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by hitsujiya-azumino | 2015-05-31 17:03 | 旅の写真 | Comments(0)

木版更紗の布

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冬に旅行したインドで、木版更紗(ブロックプリント)と呼ばれる綿布を仕入れてきました。
ほとんどの布を、工場と問屋を兼ねたような店で、
メーターいくらの「計り売り」で買ってきたため、
それを加工してくれる人を探していたのですが、
ようやく近所にすばらしい人を見つけ、お願いできることになりました。

ゴールデンウィークには、店の壁を使い、
少しですが展示販売することができそうです。

写真は、インド西部の町ジャイプールで手に入れた布です。








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◎◎◎◎◎ ゴールデンウィーク予約受付中!◎◎◎◎◎

連休中、レンタサイクル・レンタカーともに大変混雑します。
お早めのご予約をおまちしております。

★レンタサイクルご希望の方はこちら http://www.hitsujiya-azumino.com/rentacycle/index.html

★レンタカーご希望の方はこちら http://www.hitsujiya-azumino.com/homepage2011/newpage3.html


























a0034487_20215418.jpgジャイプル(インド)

わたしは断言する。
真の非暴力社会を実現できるのは、巨大産業社会などではない。
それが実現できるのは、自給自足の暮らしの仕組みが整った、
村社会である。(マハトマ・ガンディー)

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by hitsujiya-azumino | 2015-04-21 20:29 | 旅の写真 | Comments(0)

朝のチャイ屋台

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デリー(インド)でよく泊まるゲストハウスの前に、
毎朝6時頃になるとチャイを売る屋台が出る。
そこで、チャイとトーストの朝ごはんをよく食べる。

トーストは、玉ねぎと唐辛子を混ぜたオムレツを、
小ぶりな食パン2枚ではさみ、フライパンの上で押し付けるようにして焼いたもの。
これがなかなか美味しくて飽きない。
チャイも作りたて熱々のを出してくれる。
両方で40ルピー。約80円。


デリーにあるスパイス専門店で、
ひつじ屋のチャイ用に、カルダモンやシナモン、
紅茶の茶葉などをたくさん仕入れてきました。
今年はこれで材料の心配をしなくてすみそうです。























土地や財産を持つのは重荷である。
この思いはわたしの中にずっとあり、ますます膨らんでいる。
それはつまり旅に出る前の心得を同じなのだ。
旅人は自分の荷物をできるだけ少なくして、
身軽に旅をしようとする。
それと同じで、わたしも余分な荷物など持ちたくはない。(マハトマ・ガンディー)


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by hitsujiya-azumino | 2015-02-10 12:47 | 旅の写真 | Comments(0)