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助産院ウテキアニ高橋小百合さんのブログから

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安曇野に生きる「半農半X」な人たちを紹介する冊子作りのお手伝いをしています。

半農半Xとは、「持続可能な農ある小さな暮らしをしつつ、天の才(個性や能力、特技など)を社会のために生かし、天職(X)を行う生き方、暮らし方」~提唱者の塩見直紀さんによる定義

半農半Xを目指す人たちの役に立つ情報を、というコンセプトの
「ひつじ屋インフォメーション」がページをいただけることになり、
その原稿をウンウン苦しみながら書いている。

その中で「助産院ウテキアニ」を短文で紹介する必要があり、
自然分娩って何を書けばいいのかな~、子ども産んだことないしな~、
なんて思いながら、ウテキアニのホームページや
主宰する高橋小百合さんのブログを読む。


与えられなかったギフト

自分の人生を振り返ってみると、
いろんなギフトを頂いて来たことに気がつきます。
その時にはそれほど重要ではないと思っていた事が、
数年後にはとても重要な出来事だったと判ったり。
とっても大事にしてきたことが、
実は私にはそんなに必要なことでは無かったり…
その時には判らないことばかりです。

その中でも「救われた!」と思うことが多いのが、
「願っていたのに与えられなかった」ものや、
「絶対手放したくなかったのに去っていってしまった」もの…。
その与えられなかったものが実は今にして思えば、
あれが与えられなくて良かった〜って思う事ばかりです。
もしあの時あの事が与えられていてしまったら
きっと私はダメになってしまうだろう…。
あの時にあの事を失ったから今の私があるんだ…
と思うことが沢山あります。

与えられないという事も神様からの大きなギフトなんだな〜…
と思って犬の散歩をしていた後にこんな祈りの言葉と出会いました。

大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。


より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、

よりよきことができるようにと病弱を与えられた。


幸せになろうとして富を求めたのに、

賢明であるようにと貧困を授かった。


世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、

神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。


人生を享受しようとあらゆるものを求めたのに、

あらゆることを喜べるようにと命を授かった。


求めたものはひとつとして与えられなかったが、

願いは全て聞き届けられた。


神の意にそわぬものであるにもかかわらず、

心の中に言い表せない祈りは
すべて叶えられた。


私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ。
(J・ロジャー・ルーシー神父
)

涙が溢れて止まらなかった…。

そして、安曇野に引っ越してきてからの困難の中で
いつも私を支えてくれた言葉の一つに「平静の祈り」というのがありました。
この祈りをいつも思い出しては
後ろを振り向かずに精一杯前進してきた事を今思い出します。

平静の祈り


神よ、私にお与えください

変えることの出来ないものを受け入れる平静な心を

変えることの出来るものは変える勇気を 

そしてそれらを見分ける知恵を・・・
(ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr、1892―1971))

高橋小百合さんのブログ「Blog Utekiani World」"より転載させていただきました】


これを読んで、冊子編集長のミヤサカさんに
「ウテキアニ書けませーん」と弱音を吐いていた自分が恥ずかしくなりました。
このあとホームページもいっしょうけんめい読み、紹介文を考えました。
by hitsujiya-azumino | 2010-11-23 21:15 | ひつじ屋日記